年度の変わり目に突然姿を消し、「まなび三期会」の総会にも欠席して皆さんに大変ご心配をお掛けしました。実は眼科の手術のために一週間入院していました。退院後、先日の新年度の手帳交付式に出席した折に何人かの方から眼のトラブルは他人事でないという声を聞きました。加齢に伴って起こる白内障などは会員の可也の皆さんには何れ直面する問題であると思われますので、今回のささやかな経験を皆さんの参考までに記すことは意味があるのではないかと思ってここに筆を執りました。

ことの始まり

 4,5年前から夕方になると視野がぼやけてきてものが見え難くなったり、曇りの日でも外出すると眩しさを感ずるようになったりしました。近所の眼科医の診察を受けましたら、案の定白内障の症状が進行しているけれど、まだ手術をするほどではないと言って目薬を処方されました。その目薬の説明書きを読みますと、この薬は白内障を治すものではありません。唯、進行を遅らせるものだと書かれていました。眼科医院の待合室は何時も混雑しているし、効きもしない目薬を処方してもらうために長時間待たされるのも億劫になって、眼科医を訪ねるのを止めていました。
 ところが、昨年になって白内障の自覚症状が更に著しくなるのを感じましたし、ゴルフに出かけた折には自分の打ったナイス・ショットのボールも殆ど眼で追うことが出来なくなって、いらいらしてきました。

病院で診察を受けてみましたら

 平成20年の1月、件の眼科医院に行けば前回と同じことを言われると思いましたので、千葉市中央区の蘇我駅近くの総合病院の眼科を訪ねて診察を受けてみました。
 その結果、小生の眼の状態は白内障の進行は当然のことながら、その上緑内障のリスクもあるので出来るだけ早い時期に手術を受けて両症状を一挙に解決した方が良いでしょうとのお勧めを受けました。とこが手術の予約が3ケ月も既に詰まっているので、早くても4月の予約ということになりました。

町の眼科医院と総合病院の場合の違いは

 偶々、近所のゴルフ仲間の方が隣町の眼科医で白内障の手術を受けていました。町の眼科医院で手術を受ける場合はほとんどのケース入院しないで通いで手術及び治療を受けるのだそうです。但し、手術は一度に片目ずつで、片眼の手術ともう一方の眼の手術の間の3ヵ月間は通常の満足な生活が出来難いので、大変不便な思いをしたという話を伺いました。その方はそのお陰でほぼ6ヶ月間もゴルフを控えなければならなかったとボヤイておられました。その点、病院で手術を受ける場合は、希望すれば一度の一週間の入院で両眼の手術が受けられるというので、療養の期間が短くなると考えました。

入院の準備は慎重でした

 入院の二週間前に心電図、レントゲン検査、血液検査などを含めた同病院内の内科医の総合検査を受けるように言われました。更に、一週間前にその検査を持って家族同伴で担当の眼科医の面接があり、手術に関する何通かの同意書にサインを求められました。同時に眼のバイ菌の採取があり、その3日後に採取されたバイ菌の培養結果の検査報告があり、感染症の危険性がないことを確認した上で、最終的な入院及び手術の日時が決まりました。 
 町の眼科医院での場合はこのように慎重な予備検査が行われるかどうかは判りませんがが、この点総合病院での手術には安心感が持てました。

初めての入院と手術は緊張しました

 入院の朝は家内を伴い自分で車を運転して病院に入りました。午前中に眼の状態や視力の検査を受けた後、病室に案内されました。病棟は主体が整形外科の患者用で、色々の患者さんが入っていて、先ず自分もその一員になったのかと少々心細い思いになりました。
 
初めての病院食の昼食を摂った後、午後1時ごろ、看護師さんがやって来て点滴の管を左腕に繋がれて驚きました。点滴は感染症予防の液体だそうで、この管は手術が終わって病室に戻るまずっと着けていなけれならないそうで、少々腕に圧迫感がありました。手術前にトイレに行っておくように言われ、点滴のセットを引きずりながらそろりそろりと歩く姿はチョット惨めでした。
 午後2時頃手術の呼出しが掛り、看護師さんに押された車椅子に乗せられ、点滴セットを従えた重ぐるしい大名行列のような気分で手術室に向かいました。三階の手術室には何重ものドアーを通り、TVでよく見かけるような緊迫した雰囲気の中に入りました。大変緊張していたらしく、付き添いの看護師さんに「気楽にして」と軽く肩を叩かれました。手術台に乗せられると、天井からこれもTVで見かけたような大きな照明灯が眩しく照らしていました。手術台に載せられると、右の片目の部分だけ穴のあいたお面のような覆いを顔に掛けられ、耳の後ろに太そうな麻酔注射を打たれ、右の眼に麻酔液が注入されてから手術が始まりました。

 眩しいけれど、じっと眼を開けて2つ重なった算盤玉のような形のものを見つめるように言われ、我慢して眼を開いているとメスのようなものが動いているのが見えたが、麻酔のためか痛みは感じない。執刀医師が助手の医師に何か指示を出している声も聞こえる。その内に何か吸入しているような軽いモーター音が聞こえたかと思ったら、急に算盤玉が見えなくなり、視界が暗くなる。多分眼球の液体が吸い取られ、目玉が無くなったと思われる。執刀医師が助手の医師に「レンズを」と指示する声が聞こえた。目に何か感じたかと思った瞬間、人口レンズが挿入されたらしく、再び2つ重なった算盤玉の形が見え始めた。数分後、「手術は無事に終わりましたよ」という声とともに顔の被いが取られてから抱き起こされて車椅子に座らされました。手術をしていない左の眼を恐る恐る開けると、そこに笑顔の執刀医の先生が立っておられるのが見えてほっと安心しました。病室への帰りも点滴セット付きの車椅子のソロリソロリの大名行列でしたが、往きと違って安堵の気分でした。点滴セットが外されたのは帰室後2,30分後でした。後で計算してみると正味の手術の時間は20分くらいだと思われました。

術後のケアーも万全でした

 術後のケアーは病室の担当の看護師さんによって万全になされました。
朝・昼・晩と就寝前の体温測定、食欲及び通便のチェックに加えて、3種類の目薬の点眼はきちんとなされました。手術した方の眼はチタン製のプロテクター付きの眼帯で保護されていました。自宅での術後ケアーでしたら、これほどキチント出来ないと思います。洗面と洗髪は石鹸や水分が目に入るといけないので許されず、蒸しタオルが顔を拭くようにと朝晩配布されました。洗髪は術後3日目に看護師さんが仰向けになって出来る特別の台でしてくれました。その折に腰から下だけのシャワーも許されました。食事は手術の日を含めて2日間は眼に振動を与えないようにと、お粥と軟采というような気の遣いようでした。

もう一方の眼の手術も同様にして行われ、無事退院できました

 右の眼の手術後4日目の朝、眼帯が外され、左眼の手術の準備が入院初日と同様に始められました。その日の午後2時頃から同様にして左眼の手術が施され、7日目の朝最終検査の後無事退院となりました。

 手術及び入院の費用は6日目に概算が示され、退院時に現金で支払いました。合計金額は約5万円弱でした。小生の自己負担は1割なので、実費は約50万円掛ったことになります。その内訳は手術費用約38万円と入院費用約12万円です。

術後の自宅療養と総括

 術後、手術の傷痕が回復し人口レンズが眼の中で落ち着くまでには通常3か月位掛かると担当医師から言われました。従って、新しいメガネを調整するにはその後にするようにということです。退院後1週間目と4週間目に検査の予約をとって通院することになっています。自宅では朝・昼・晩と就寝前に2種類の目薬を点眼することのなっています。

 術後一番恐ろしいことは感染症に掛かることだそうです。従って、術後少なくとも1ヶ月間は洗顔は蒸しタオルで顔を拭くにとどめ、洗髪は美容院でやってもらい、石鹸、シャンプー、水などが眼に入らないように気を付けるようにとのことです。また、埃の多いような処への外出や運動は散歩程度に留め、過度の運動は控えるようにとのことです。

 今日現在まだ術後1カ月を経ていないので、手術の成否は何とも言えませんが、視野が可なり明るくなったことは事実です。 しかし、焦点距離は以前と比べて少々短くなっているようです。というのは新聞や書籍を読む折には可なりはっきり見えるが、ちょっと離れた所からTV画面を見る折にはまだピントが合いにくいような感じです。それに、傷痕のごろごろ感がまだ少々残っているようです。

 担当の眼科医の先生の話によりますと、一昔前は白内障の手術はいよいよになるまでしない方が良いと言われていましたが、最近では白内障は加齢と共に誰でも掛かる症状でなので、自覚症状が出たら体力のある早い時期にした方が良いそうです。小生の場合、眼の中を循環する液体の出口が狭まっていて、その出口が一旦詰まると突然眼圧が高まって失明のリスクがあるというので、それを解決する処置を同時に行なったので、成功すれば大変効率の良い手術であったことになります。
                                             平成20年4月末日 長兵衛記