奥の細道・深川の巻


江東区立芭蕉記念館

東京都江東区常盤1-6-3 の隅田川畔にあり、芭蕉の書簡や奥の細道の原本、芭蕉に関わる蕪村の書画等々が展示されている芭蕉フアンにはこたえられない記念館です。芭蕉に因んで芭蕉の木も植えられている。


芭蕉記念館の庭園内にある芭蕉句碑

草の戸も住み替わる代ぞ雛の家 奥の細道への出立に際しての気持ちを詠んだ有名な句


奥の細道寛政版

 月日は百代の過客にして行かふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を ・・・・


墨田川畔に建つ芭蕉像

小名木川が隅田川に合流する地点で清州橋を臨む一寸した高台に展望台があって、そこに芭蕉像が建っています。この小名木川当時は仙台掘りと言いました水辺の畔に彩荼庵と呼ばれた杉山杉風の別宅から芭蕉は奥の細道に旅立ち、舟で隅田川を遡り千住大橋に向かった。時あたかも元禄2年3月27日(新暦5月16日)であった。



芭蕉稲荷大明神

嘗て芭蕉が住んだ芭蕉庵は家々に囲まれた芭蕉稲荷大明神になっていた。


彩荼庵跡

海辺橋の南詰に、芭蕉が「おくのほそ道」の出立直前まで住まった採荼庵跡がある。

深川界隈の史跡

JR両国駅
私の奥の細道の旅はこの両国駅から始まった。
左側に見えるのは相撲で有名な両国国技館です。

割烹みやこ
深川の浅利飯で古くから有名な割烹料理屋。

吉良邸跡
赤穂の四十七士がこの松坂町の吉良邸に討ち入りした。

萬年橋
浮世の絵師葛飾北斎が富士山を背景にしばしば描いたのがこの萬年橋でした。

松平定信の墓地
深川の霊厳寺境内には寛政の改革を実行した老中松平定信の墓所がある。

深川不動堂
成田山のご本尊不動明王を江戸で参拝したい、という気運が高まり、ついに1703年(元禄16年)4月にはじめて江戸でのご本尊の出張開帳が行なわれたのが始まりだという。